2009/02/26

いや

もしかしたらそもそもやりたいことなんてないんじゃないか?
何か表現したいものがあるのかと問われて、胸を張って「ある」といえるほど何かを表現したがっているのかといえばそうでもない気がしてる。

個人競技じゃなくて団体競技っていうのはそう言うことかもしれない

自分のモチベーションを自分であげられない。人のためとか、人に要求されたり必要とされたり、ていうフィルタを通さないとうまくモチベーションをあげられない。

これっていけないことなのか。
どうなのか

ていうか本当にそうなのか
何となくこんなこと言って何かから逃げてるんじゃないか
ただの言い訳じゃないか

ぼう

俺がやりたいのは広告でも出来ることだけど広告じゃない。多分。

2009/02/17

N A

新しい環境にまた身を置くことにしました。
新しい環境が好きかといわれれば結構好きな方だとは思うのだけど、初対面で人とすぐに仲良くなれるかというと、そこには相当無理をしている自分がいる。
それでも新しい環境が好きだ。

でもそれなら次々と新しい環境に送り出される派遣のバイトが好きだったかというと、全然そんなことない。

改めて考えてみると、新しい環境が好きなんじゃなくて、新しい環境に馴染んでいくこと、つまり自分の居場所を広げていくことが好きなのかもしれない。

このまま興味の赴くままに広げていくことが出来たなら、世界征服も時間の問題だ。

2009/02/10

刺激物

入試の間、予備校時代の友達を家に泊めた。
受験生と大学生ていう違いがある訳だけど、それだけに収まらない色々な違いを感じた。
そんなつもりはなくてもやっぱり多少は今の自分とくらべてしまう。考え方は違って当然なんだけど、物事を考えはじめる上でのスタートの視点の位置ていうか、そういうものに違いを感じた。そこに優劣はないと思うけど、なんとなく懐かしいというか昔の自分に似たものを感じて、そんなとこから何気ない自分の成長を感じた。
見習わなきゃ行けない部分もたくさん見れたし、いろんな話も出来ていい刺激になった。
手をもっと動かそうと思った。

2009/02/04

PRESTO

ていう文字列がもはや懐かしい。
このころの衝撃って自分の中で結構大きな影響を与えてきてると思う。

プレストが復刻するのがうれしい。


プレストとかチャンジョとかクキニ(これは最近も出てるか)とか懐かしい。この頃ナイキに限らずソック系みたいな伸縮性のあるアッパーひとつなぎ、みたいなスニーカーはやった。
ハイテクスニーカーブームじゃないけど、技術革新ていうか目新しいものがいっぱ出てきて面白いものをいっぱいみた。ショックスもこの頃だし、ポジット系とかハイパーフライトとか。ナイキじゃないけどポンプフューリーとかディスクブレイズとか知ったのも多分この頃。

あの頃の感動を再び。


きっとこの頃だ。「デザイン」ていうものの存在を初めて意識したのは。
やっぱり立体からデザインに入ってたんだ。気がついた。
意識してない中でもずっと色んな国のいろんな絵本だったり、今見たら「へぇー」と思うようなものを見せられて過ごしてきてた気がするけどやっぱりネフの積み木だったりレゴだったり立体に触ってる時間の方が絶対に長かった。

なんかすっきりしたなー。

「誰も見たことのないものを見たい、作りたい」欲もこの頃からモクモクと形になってきたんだろうな。見たことのないもの天国だったこの頃。
久しぶりに自分が見えてきたことがうれしい。この感じいい。

過剰包装

個人競技より団体競技の方が好きだ。

それは実生活にも通じてると思う。
補い合う感じとかいい。それぞれのポジションとか。
ポジションってなんかいい。その道のエキスパートみたいな、職人的ニオイがいい。
すげーニッチでも一つ極めてたらそれだけでかっこいい。ブルース・ボウエンみたいな

役割が変わっても持ち味は変わらない。
という中村憲剛の言葉。なんかすごいい言葉だと思った。
ポジションが変わっても、つまりフィールド、ステージその他諸々の環境が変わっても自分には自分の色があって、自分なりのそのポジションのこなし方がある。

点取るのもFWだけど、点を取るためのスペースを空けるために動き回るのもFW。
結局FWなんてただの名前で、ゴールに一番近い選手ってだけの話。
FWていう名前の下で何をするかは本人次第であって、それこそが持ち味。

結局、外身よりも中身、ていうベタな話だけどベタって大事。

自分の持ち味ってなんだろう。しっかりまとめよう。