2013/01/30

インフルも治して、年も明け、シュウカツも始まり、何社か受けて思いがけぬ所で採用が決まったのが先週。
今週からすぐに働き始めて今日で二日目、毎日駅まで走ってぎりぎり終電です。

といったニュースはあるものの、そんな日々の些末な出来事についてではなく、とても残念な訃報が入ったので久々に日記を書きます。

昼過ぎに入っていたメールには、今朝叔父が急死した事が書いてありました。
夕方過ぎのメールには、死因がクモ膜下出血であった事と葬儀の日取りが書いてありました。
さっき帰ってきてからメールを確認して、しばらくぼんやりとして今に至ります。

それぞれほんの数行の、たった二通のメールでしたが、実弟を亡くした母の悲しさや、混乱が見て取れました。
感情を隠そうとした事務的なメールにかえって胸が締め付けられます。

独身の叔父も、結婚式での叔父も、その後に生まれた四人の子供を抱く叔父も、ずっと見てきたので一番距離の近い親戚だったように思います。小学生の俺に大友克洋とほぼ日を教えてくれた叔父でした。

Webデザイナーをやっていたこともあって、大学に入った直後は色々とお世話になりました。「早く仕事ちょうだいよ」とか「早く仕事振らせてよ」とか言いながらも、向こうの家庭のゴタゴタで一時は疎遠になり、久々に連絡を貰ったのが俺の25の誕生日でした。

久しぶり?がんばってるみたい。25歳かぁ、初めて抱っこしてあげた時、俺が25歳。ダブルスコアだ。

とても感慨深いお祝いの言葉とfacebookの友達申請に マジかよ、と思ったものでした。

そのすぐ後に俺のニート生活が始まる訳ですが、真っ先に仕事をくれたのは叔父でした。
就職の心配もしながら、あれやこれやといろいろと話を進めていましたが完成を迎える事なく、結局その仕事はただの思い出になってしまいました。
今思えば叔父との記念すべき初仕事でしたが、大きな成果もなく、後悔と無念、進みかけの話しか残すことができませんでした。叔父もさぞ無念かと思います。

来週会うときに就職が決まった話などしようと思っていたのですが、結局伝えられていません。向こうでまだ心配させていたらと思うと気が気ではないので、今週末しっかりと顔を見て報告してきたいと思います。

おじちゃん今までありがとう。明日も仕事頑張ります。