2012/05/21

謙虚


謙虚じゃない。
謙虚は弱気じゃない。
控えめで慎ましく、相手の意見を素直に受け入れる、とあるが果たしてそれだけの意味か。

謙虚は人のため。
へりくだる相手がいて初めて成り立つ。
へりくだることは相手を敬い高めること。相手のためを思うこと。

相手の意見を受け入れるのは、そっくりそのまま賛同することではない。
受けて、入れる。頭はただの入れ物じゃないから入れたものについて考える。
相手と同じようにでも違うようにでも、とにかく同じことを考え噛み砕く。

その自分の答えを以てへりくだることができるか。
相手のためを思って何ができるか。

異を唱えることも時には謙虚であり、異を唱えないことが時には謙虚ではない。






2012/05/12

与えられることだけこなして文句を言っていても仕方が無い。
言い訳ばかり考えて、肝心な「自分にできること」を考えていなかった。
言い訳は探せば探すだけ思い付く。いくつ言い訳を考えたってそれはすべて過去だから未来は変わらない。「仕方ないから」という気持ちが残るだけ。

面白い、面白くないも人に与えられるものじゃなくて自分で探して見つけるもの。甘ったれたまま文句だけ言う最低のヤツだった。
こういう話をしてくれる人が周りにいてくれるのはありがたい。

2012/05/08

ジャングルジム


この前、たまたま小学校を訪れる機会があった。

その時になにげなく歩いた校庭にはいくつもの遊具が並んでいた。その中にあったジャングルジムが目に入った瞬間、私は懐かしさとともに大きなワクワク感と魅力を感じた。

小学生の頃、外でよく遊ぶ子供だった私が特に好きだったのはジャングルジムだ。
しかし、小学校を卒業して以来、ジャングルジムに登った記憶はない。登る機会もないが、そもそも身体が大きくなった今の私たちが登って楽しめるようなジャングルジムなど存在するのだろうか。
昔やんちゃな子供だったの人達の中には、私のように「いま改めてやってみたい」と思う人も少なくないはずだ。そうは思っていなくても目の前にあれば必ず試してみたくなるだろう。だが、そんな場所はどこにもない。今のご時世で、小学校に入って遊具で遊ぼうなどと考える人もいないだろう。

そこで、私はエンタテインメント会社の社長として「大人専用の小学校の校庭」を作る。本来、子供を基準として作られている遊具を大人の規格で新造し、それらを設置した校庭だ。そこにある全ての遊具、全てのものは大人の身体に合わせて作られ、一生懸命遊んだ子供時代のように、大人が一生懸命遊べることを目的とする。

大人になってから観るジャングルジムの小ささは懐かしさとともに、どこか寂しさも感じさせるが、今見ても巨大に見えるジャングルジムはあの頃と同じような興奮と楽しみを与えてくれるはずだ。




ていう「エンタテインメント」て名前の文書ファイルを見つけた。
どっかのESに書いたやつだと思う。

すっかり忘れてたけどこんなこと考えてたのか。
最近頭使ってねーなー、て思った。

昨日2対2やったときに「俺普段DFサボってたなー」て改めて気付かされた。
その感じ。だいたいは気持ちの弱さ。